本
本を読むのが好きだ。
幼稚園の頃は毎晩のように母が絵本の読み聞かせをしてくれたのを覚えている。
妹と一緒に母をはさんで布団にもぐりこむ。
それぞれお気に入りの本は違ったが、どんな本でも楽しめるので、読んでもらう本のことで喧嘩することはなかったと思う。
たま〜に父が読んでくれることもあったが、驚くほどの棒読み具合が面白くて本の内容より父の読み方にケラケラ笑っていた。
幼稚園でも読み聞かせや紙芝居の時間があり、お友達とおしゃべりすることもなく物語に没頭する子どもだった。
絵本よりも図鑑など、写真やイラストがメインの本のほうが好きだという子もいるが、私はむしろ文字のない本にはあまり興味をそそられなかった。
文字のないというよりも、物語のない本と言うべきか。
どうやら私は物語が好きらしいと気がついたのは、高校生になってからだった。
アニメや漫画、ストーリー性のあるゲームも好きだけど、1番その世界観に没頭できるのは、やっぱり本だった。
そもそも小学生の頃は漫画やゲームをほとんど禁止されており、アニメを見るか本を読むかのどちらかだった。
漫画やゲームがもっと欲しいとねだったこともあった気もするが、買い与えない母の判断は正しかった。けっきょくいつも最後は本に夢中になって、漫画もゲームもたまに楽しむだけになる。
物語の中でもファンタジー小説が1番好きだ。
知らない世界に行くとわくわくする。
本を読んでいると、その世界の音や匂いを感じることがある。
風の匂いや水の手触り、森の草木がさざめく音。食べたことのない果実の味や食感。
知らないはずなのに、かなりリアルに感じられる。
ただの想像、空想に過ぎないことはわかっている。
自分の経験から似たような体験を思い出し、そこから「こんな感じかな」と想像しているだけなのだろう。
しかし、本を読めば読むほど、実際には体験していないのにその想像、空想の幅が広がる。
いろんな本を読んでからもう一度その本を読み返すと、最初に読んだ時よりもさらにリアルにその世界を私の中に再現できる。
「そんなに文字だらけの本、何が楽しいの?」とよく同級生に聞かれた。
彼らにとっては文字はただの文字でしかなかったのだろう。
漫画ばかり読むんじゃない! と叱られた、なんて愚痴る彼らを傍目に、私はにんまりと本を読んでいた。
本ばかり読むんじゃない、などと叱られることは一度もなかった。
むしろ本を読むだけで大人たちから褒められた。
彼らが漫画を楽しむのと同じ感覚で本の中の壮大な冒険を楽しんでいるだけなのに、たまたま漫画じゃなくて本だっただけなのに。
どうして本を読むと褒められるのか、正直今でもあまり理解できない。
大人になってからも本を読むのが好きと言うと「すごいね」と言われる。
大人になってからは勉強のために本を読むこともだいぶ増えたが、それさえも必要に駆られてというわけではなく楽しいから読んでいる。
そしてメインはファンタジー小説、しかも児童書。
完全に娯楽として楽しんでいるだけなのにすごいと言われる意味がわからない。
とはいえ人と接することが増えるにつれて、子どもの頃から読書の習慣がある人とない人とでは少し違うなと感じることもあった。
子どもの頃は読まなかったけど大人になってから読むようになった人と、大人になっても読まないままの人、小説は読まないけどビジネス書なら読む人……。
なんとなくだけど、私の出会った人たちは本を読む人のほうが物事をしっかり考えられる人が多いように感じた。
果たして私自身にそれが当てはまるかは疑問だが、何十年も本を読み続けているのだからおそらく何らかの恩恵は受けているのだろう。
というか本を開けばいつでもどこでもファンタジーの世界に没入できる時点で、この上なく最高の恩恵を受けている。
さらにもうひとつ。
本は読むタイミングによって印象が変わる。
子どもの頃に読んだ本を大人になってから読み返すと、当時とは別の視点から物語を追うことになる。
どうやっても子どもの頃の視点のままでは読めなくなっていて、ノスタルジーを感じる。
登場人物に自分を重ねていたことを思い出したり、新たな発見があったり。
大人になってから子どもの本を読むのもいいけれど、やはり子どもの頃の感性でしか受け取れないものもある。
本には賞味期限があることを強く感じる。
その本を読むのに最適な時期が確かにある。
その時期に読むことで救われたり人生が変わる本が確かにある。
つらい時に励ましてくれた。
悲しい時に寄り添ってくれた。
優しさや勇気を分けてくれた。
何があっても大丈夫だとメッセージを贈り続けてくれた。
最適な時期にぴったりの本を読むことができたのは本当に幸せだと強く思う。
ハプニング
朝、醤油差しを倒してしまった。
ガシャンと音を立てて倒れた瞬間、やっちゃった! とぼんやりしていた頭が一気に冴えた。
父の朝食の準備をしていた母が「どうした?やっちゃった?」と声をかけてくれる。
「お醤油こぼしちゃった!ごめん」と言いながら醤油差しを拾いあげる。
母が急いで布巾を用意してくれるのを確認しつつ、醤油差しが壊れていないかチェックする。
割れも欠けも、ヒビさえ入っていないことに安堵して、私は母から布巾を受け取った。
テーブルに広がる醤油。
朝の忙しい時間に、母に余計な手間を増やしてしまった。
「もったいないね。ごめん」と言うと、母は汚れた布巾を私の手から取って「あとはやるから食べちゃいなさい」と言ってくれた。
ここでもう一度「ごめん」と言わずに「ありがとう」とだけ言った。
なんとなく、そのほうがいいと思った。
最初にごめんと言った時、よく聞こえなかったが醤油をこぼしたのは母に原因があるようなことを言っていた気がした。
醤油差しを倒したのは誰がどう見ても明らかに私なのに。
母はこうしていろんな場面で、自分のせいではないことも自分のせいだと責めてきた人なのかもしれないと思った。
そんな母に伝えるのは謝罪の言葉よりもありがとうのほうがいい気がした。
母の事情はともかくとして、こぼれた醤油を拭きながら、何かをこぼしたらこうして拭けばいいだけだよなあ、と思っていた。
夫と付き合い始めて間もない頃、私の家でごはんを食べている時に夫が何かをこぼしてしまったことがある。
テーブルの上だけでなく床にも少しこぼれていたかあまり覚えていないのだけど、食器が割れたり熱いものをこぼしたわけでもなく怪我や火傷の心配はなかったので、「ごめんごめん!」と慌てふためく夫に私は笑いながら「こぼれちゃったね、大丈夫?」と声をかけた。
夫はこぼれたものを拭きながら「ごめん、ホントごめん」と深刻な顔つきで繰り返すので、「大丈夫大丈夫。拭けばいいんだから」と言った。
それでも「ホントごめんね。俺ホントダメなやつだよね」と落ち込む夫に、私はすごく違和感をおぼえた。
謝る、落ち込むだけでなく、私の顔色を窺っている様子があった。
今思えば、ただの自己肯定感の低さからくる行動というだけでなく、こいつにはどの程度の嫌がらせができるのだろうか、というチェックに繋がる行動だったのだろう。
その後の夫は何かをこぼしてもこの時のように謝ることは一切なくなった。
逆に私がこぼした時は「しょうがないやつだな」「どうしようもねーな」と言うようになり、機嫌の悪い時には「あーあ、せっかく洗ったばかりのこたつ布団にこぼされた。また洗わなきゃじゃん。最悪」とネチネチ文句を言われ続けた。
書きながら改めて思う。最悪。
しばらくこんな夫と暮らしていたので忘れていたけど、母の対応が普通だよなあと思った朝だった。
もうひとつ、なんとなく考えたことがある。
醤油をこぼしたらもったいない。でもまあこぼれたものは仕方がないし、拭けばいい。こぼれた醤油が床や壁、布類にも広がってしまったらちょっと面倒だけど、それも拭いたり洗えば済むこと。シミは残るかもしれないけど。
という考え方なので、基本的にこぼしても「あっやっちゃった!」と一瞬焦るだけ。
子どもの頃はさらに「やばい! ママに怒られる!」が入った。
こぼすことに限らず大抵の失敗に対してそんな感じに考えているが、失敗=絶望になる人もいるよなあと思う。
妹がまさにそう。
夕食の最中、妹がお茶をこぼしてしまったことがある。
「あっ!」と悲鳴をあげた妹を見ると、倒れたマグカップを見つめてフリーズしている。
「やっちゃったね〜大丈夫か〜」と母と私でお茶を拭き(思い返せば母はこの時も「私がここにマグカップを置いたせいで…」と自分を責めていた)、食卓が元通りになったところでようやく妹のフリーズが解除された。
「ごめんなさい…こぼしたうえに何もしなかった…」と謝る妹を見て、ああ、子どもの頃と変わらないなあと思った。
私はしょっちゅう忘れ物をする子どもだった。
忘れ物が多すぎて放課後居残りでお説教されたこともある。
しかし、先生や親にどんなに叱られても忘れ物がなくなることはなかった。
なぜかと言うと、困ってなかったから。
教科書を忘れたら別のクラスの子に借りるか隣の席の子に見せてもらえばいいし、ノートは自由帳やいらないプリントの裏に書けばいい。
上履きはスリッパを借りれば済むし、体操服も借りるか最悪私服でOK。
一方妹は滅多に忘れ物をせず、極々稀に忘れ物をするとこの世の終わりのように感じてしまう子だった。
小学校で初めて忘れ物をした時は泣いてしまい、先生に叱られるどころか「大したことないから大丈夫よ」と元気付けられたそうだ。
同じ家庭で育ったのにこうも感じ方が違うのは面白いなと思う。
2人を足して2で割ればちょうどいいのにね、とよく言われたし今でも思う。
夫にしても妹にしても、拗らせてるな〜と思う一方、私自身も醤油をこぼした時のように淡々と対処できず、他人の顔色を窺ったり思考が停止してしまうことがある。
夫に関することがまさにそれで、頭が真っ白になるくせに、何かにつけて夫のことを思い出す。
それからあまり親しくない人や少し苦手だと感じる人は、つい顔色を窺ってしまう。
おそるおそる話しかけ、にっこりしてもらえるとホッとする。
こういう怯えた態度は非常に失礼だと思う。
過剰な防衛は攻撃と同じだと恩師に言われたことがある。
当時は言っていることはわかったが、腑に落ちてはいなかった。
今はとても理解できる。
夫のことは特殊な事情があるにしても、こちらの過剰防衛についてはもう少しなんとかできないものか、考えよう。
好きで満たす
日常生活を好きで満たすことはとても重要。
ホッとできるものでもいい。
好きと安心で満たされた世界が私の理想の生活。
朝は日の出の少し前に起きていたい。
まだ誰も目覚めていない澄んだ空気を思いっきり吸い込むのが好きだ。
太陽が少しずつ顔を出すと徐々に温かさを感じられるあの瞬間も好き。
朝ごはんは土鍋で炊いたホカホカのごはんと手作りみそのお味噌汁。いりこで出汁を取れたら最高。それから糀納豆とぬか漬けがあれば完璧。
時間のある朝は豪華に焼き魚や卵焼きをつけてもいい。
デザートに果物があったら最高の一日になる。
洗濯をして掃除をして、よく晴れた日には布団も干したい。
こういう普段の生活を、時間に追われず気のすむまで自分のペースで出来たら最高。
現実ではまだそこまでの夢は叶っていないから、時間を気にして仕事に行かなければならない。
ドアtoドアで2時間。一時間半以上電車に乗っている。
窓の外の風景を見るのが好きだ。
今朝もきれいな雲が見えた。雨上がりには虹が見えたこともある。
好きな本を読むのも楽しい。ファンタジー小説だとあっという間に本の世界に入っていける。
本を読みながらまどろみ、うたたねするのも気持ちがいい。
手軽にスマホで漫画を読むのも悪くない。
SNSをチェックするのも楽しい時間になる。
職場ではお気に入りのペンを使って、お気に入りのV6のタンブラーをデスクに置く。
もちろん中身はお気に入りの飲み物。
電話が鳴ったら誰よりも早く出る。競争みたいで楽しいし、ずっと接客業をしていたからお客様との会話が恋しくなる。
さらに受話器を取るときと置くときのカチャっという音も好きなのだ。
なんなら受話器を置く前にフックを指でそっと抑えてから受話器を置くしぐさもとても好き。
電話を取るメリットは、面倒なクレーマーに遭遇するかもしれないというデメリットをはるかに上回る。
どう考えても電話を取るほうが楽しい。
帰ってからは家族そろってごはんを食べる。
一人で食べるよりみんなで食べたほうがおいしく感じるのは本当だった。
お風呂に入ってむくんだ足や疲れた腕、首をもみほぐすのも好きな時間。
嫌なことがあったりとくに疲れている日は湯船にもぐり、自分の周りの気ごとすっきり洗うイメージで。
3回ほど頭まで潜れば不思議とすっきりサッパリする。
職場が近ければ仕事帰りにプールで泳ぐのも楽しいだろう。
もう何年も泳いでいない。きっと気持ちがいいだろうな。
夜眠る前はお気に入りの動画をYouTubeで見る。
KERというとても平和なチャンネルで、頭が良くて優しい3人の男性の雰囲気がとても好き。
その動画を流しながら眠りにつくのが日課になっている。
睡眠の質などを考えると寝る前はスマホは別の場所に置いておくべきなのだが、今の私には安心して眠れる状況がひつようであり、それがこのKERだった。
少し前まではノンスタイルの漫才をずっと見ていたが、結婚や男女に関するネタを見るのが少しつらいことがあって最近は専らKERだけになった。
さらに前はラーメンズの動画を子守歌代わりにしていた。こちらは非常に年季が入っており、高校時代でラーメンズと出会ってから眠れない時は度々お世話になっている。
ラーメンズのコントを見ると不思議と眠れることが多く、眠れなくてもあの独特な世界観のコントに夢中になって楽しめる。ラーメンズのコントは不調なときの処方箋なのだ。
休みの日にはピアノを心ゆくまで弾いて、たまにはオーケストラのコンサートも観に行きたい。
好きなアニメやアイドルのDVDも堪能したいし、のんびりお散歩をしたり家でゴロゴロ過ごしたい。
会いたい人にも会いに行って、一緒にごはんを食べて楽しく語らう時間も欲しい。
よく考えてみると、好きで満たそうとするととてもじゃないけど時間が足りない。
それなのに、好きではないもののことを考えている時間がこのところ多すぎる。
不快なことに思いを馳せ、一人でイライラしたり不安になる時間は必要だろうか。
受けた傷を回復させるために必要なことではあるのだろう。
嫌な記憶を何度も思い出し、慣れさせるというのはトラウマの治療として実際にあるらしいというようなことをどこかで読んだ。
自分と同じモラハラ被害者の言葉を読んで、心底共感したり憎んだりすることで心が楽になっていく感覚は確かにあった。
だけど今でもそれが必要なのかと問うてみると、完全に肯定できない自分がいる。
そういう行動を欲する自分がいる一方で、そんな自分を不快に感じる心が生まれてきた。
なんでわざわざこんな不快な体験談を読んで嫌な気持ちをぶり返させているんだろう、と思うことが多くなってきた。
突然すべてをやめることはできない。
現に不快に感じながらも読むことを辞められず、気が楽になったりスカッとする自分も確かにまだ存在するのだ。
だが、少しずつその頻度を減らし始めてもいいのかもしれない。
なんでこんなことしているんだろう
なんか嫌だな
なんか楽しくない
そう思ったらその行動を辞めて好きなことをやってみる。
そうやってだんだんと不快な時間も好きで満たしていけたらいいと思う。
ほんわかする人
一緒にいるとほんわかする人がいる。
朝、挨拶するだけで嬉しくなってニコニコしてしまう。
話しかけると必ずニコッと笑ってくれて、心があたたかくなる。
そういう素敵な人と出会えて幸せだと思う。
奇跡だと思う。
そう思う感性を持つ私自身も、とても素敵だと思う。
そんな人になりたいなあと思うけど、実はもう10年以上前からそんな人になっている。
高校時代からの唯一の友人は、私に会うたびにそういう言葉をかけてくれる。
私は「嘘だあ」と彼女の言葉を受け取れなかったけど、彼女にとっては真実なのだろう。
振り返ってみると癒し系だとか安心すると言われることが多かった。
幼い頃は自然とみんなの中心にいてリーダーのような役割をすることも多かった。
人見知りで引っ込み思案、自信のなさも相まってリーダーの役割をする機会はだいぶ減ったが、安心感を与える雰囲気は今でもあるようだ。
いつも頼られる存在できちっとしている職場のお姉さんは、私と二人でいるときだけはだらっとした姿勢でぼそぼそとつぶやくようにしゃべることがある。
休憩中でもほかの人がいるときは絶対に見せない、絶対に家でしかしない態度だろうと思う。
それを私には見せてくれるくらいリラックスしていてくれるのは、すごく嬉しい。
人の話をしっかり聞くというのも、安心感につながるのかもしれない。
長年人と話すことに苦手意識があった私は、せめて話を聞いていることを相手に伝えるために、相手の目を見てしっかりうなずくという聞き方をするようになった。
どうやらこれはなかなか特殊な聞き方らしい。
多くの人は人の目を見て話しを聞くことなどあまりないそうで、私と話すときはしょっちゅう目が合うからきちんと聞いてもらえている感じがして嬉しいと言われたことがある。
話を聞いてるよ、と伝えることはできていた。
さらにもうひとつ心がけるようになったことがある。
どんな話も否定しないということだ。
V6のイノッチは、誰のどんな話でも必ず「いいね~」と褒める。
一般的な考え方だと眉をひそめるような内容だったとしても、視点を変えていいところを見つけたり、ユーモアを交えて和やかな雰囲気に変えてくれる。
人それぞれいろんな考え方があり、それぞれの正しさや正解がある。
ひとつの視点からではなく、いろんな視点から考えて「なるほどね」「それもいいね」と話を聞く姿勢がとても素敵だと思った。
V6のメンバーで話し合いをするときも、メンバー同士で意見が違うときにイノッチがそれぞれの意見を「それもいいね! そっちもいいね!」と聞くらしい。「じゃあそれとそれをこうしたらどうだろう?」とみんなの意見を反映した折衷案も出してくれるという。
素晴らしい才能だと思う。まあ健ちゃんはそんなイノッチのことを「折衷案を出すだけで自分の意見は何もない」「乗っかってるだけ」と評していたけれども。
年の差のあるトニセンとカミセンをつないでいたイノッチならではのコミュニケーション術だなと思う。
正直ここ最近はそんな余裕はなかったけれど、ギスギスイライラして自分の正しさを押し付けるよりも「あれもいいね。これもいいね」といろんなことに目を向けられる人でありたい。
もともと私がいたのはそういう場所だった。
今いる場所もそういう場所だ。
だからほんわかする人がそばにいてくれている。
私にそっと気をまわしてくれる人たちがいる。
そういう人たちに囲まれていることはとても有難いことなんだと再認識するために、あの地獄のような環境にいる人たちと出会ってしまっただけ。
もういない、私には合わなかった人たちに意識を向けるより、今私の目の前にいる素敵な人たちを見ていきたい。
きっと戻れる。
新しい展開
けしかけ占い、しらたま占いのサーヤさんのメルマガを1年半ほど毎日楽しみに読んでいる。
その時悩んでいることのヒントになるような話をタイミングよく配信してくださるので、今のところ波長が合うのだろう。
先日もまさに今の悩みにピンポイントな答えをいただけた。
サーヤさんによると、うまくいかなくなる時は、自分の本当の望みと向き合う時らしい。
自分の本当の望みとは何だろう。
結婚して子どもを産み、温かい家庭を作りたいと思った。
が、たった半年の結婚生活は強制終了。
幸いなことに子どもも授からなかった。
本当の望みじゃなかったのか、タイミングが違ったのか。
思い返せば「うまくいかなくなった時」、必ずモヤモヤして「自分は何がしたいんだろう」と考えていた。
早く次のやりたいことを見つけなければ、と焦燥感に駆られ、心理テストをしてみたり夢ノートを書いてみたり。
しかし現実世界ではうまくいかない状況なので、心は毎日かなりしんどい。
私のやりたいことはいつも決まって「私と同じような状況で苦しんでいる人を助けたい」だった。
じつはこういう心理、よくあることらしい。
谷本惠美さんのモラハラの本にも書いてあった。
夫からのモラハラを受けている時も「この経験を活かしてモラハラ被害者の支援をしよう」と思い立った。
本当は自分が助けてほしいだけなのに。
その前の仕事がつらくて転職を考えていた時は「私には何度も転職の経験があるから転職を迷ってる人の役に立つ情報を発信しよう」
その前のノイローゼで毎日泣き明かしていた時は「つらい人がいつでも気兼ねなく泣ける場所を作りたい」
いつだって自分が助けてほしいだけだった。
けっきょく何ひとつ行動にうつしてはいない。
そして今回、自分がつらいときは他者の支援をしたくなるという心理があることを知った。
今までにない新たな展開だ。
モラハラ被害者の支援の一歩としてブログを立ち上げようとしていた私は、さっさと手を引いた。
これは違う。私が助けてほしいだけ。
モラハラのことを書こうとすると苦しくなる。こんな状態では支援なんてできるはずがない。
そして先日のサーヤさんのメルマガである。
今までうまくいかなくなったタイミングでことごとく無視してきた自分の本当の望みにいいかげん気付きなさいと言われた気分だった。
スピリチュアルが好きな私は、本当の自分を知る方法は知っている。
とにかく自分を癒し、やりたいことをやって、自分を大切にしてあげる。すると自分の心の声が聞こえるようになり、本当の望みもわかるようになる。
だけど私には自分の本当の望みがわからない。
その前の自分を大切にするところができていないからだと思う。
モラハラ環境の中で、相手をまるごと受け入れることと自分を大切にすることを学んだ。
自分を大切にするということは、自分の気持ちを大切にするということでもある。
夫から受けたストレスは心の中のゴミとなって私の胸からみぞおち、それから下っ腹のあたりに渦巻いている。
夫と関係ない話をしていたのに夫に対する思いがリンクして、普段なら絶対使わない酷い言葉を使ってしまうこともある。
楽しい記憶や刺激的な体験で夫の記憶を風化させることは可能だろう。
しかしゴミとなって溜まったものは消えない。
適切に処分しない限りずっとそこに在り続ける。
まずはそこから始めないと、私の人生は動き出さない気がしてならない。
せっかく新しい展開がやってきて、さらに背中まで押してもらえているのだ。
つらいらしんどい見たくないなどと逃げずに向き合う力は備わっているはず。
自分の中のドス黒い部分に光を当てる時が来た。
がさつでずぼら
自分のことを説明するときにガサツでズボラとよく言う。
改めてその意味を調べてみると、適当ではないと思った。
ガサツには動作や態度に落ち着きがないという意味があるらしい。
焦ってテンパって落ち着きなさいと言われることはあるが、何事もなければ落ち着いているほうだと思う。小学生の頃にはお友達のお母さんに「もとつちゃんは動じないよね」と言われたこともある。
そして荒っぽくぞんざいという意味もあるらしい。
こちらは少々当てはまる。
というかこちらの意味をメインで使っていた。
が、改めて考えてみると微妙に違う気もする。
イライラしている時や心が荒んでいる時は荒っぽくぞんざい、乱暴になる。
反抗期真っ只中の中学校時代はまさにそれだった。
ただ、今はどうだろう。そして中学以前の私はどうだっただろう。
物の扱いが乱暴だったことは否定できない。
物を大切に扱う妹のランドセルと比べると、放り投げたり物を詰め込んだり背もたれとして使ったり友達と引っ張りあったりした私のランドセルはボロボロだった。
母は6年たっても新品のような妹のランドセルの使い方を褒めたが、私だって大事にしていなかったわけじゃない。
部品が取れてしまった時は落ち込んだし、大きな傷がついた時は悲しかった。
扱い方は雑だったけど、とても大切にしていて大好きなランドセルだった。
ガサツというよりはおざなりという言葉のほうがしっくりくる。
その場限りの間に合わせ、というのは今でもよくやる。
いい加減という言葉もぴったりだ。
ズボラについては、不精でだらしがない点はとても当てはまる。
子どもの頃から忘れ物が多く、だらしがないとしょっちゅう叱られていた。
しかしズボラには約束を守らず仕事もきちんとしない、というような意味も含まれているらしい。
こちらについては自信を持って違うと言える。
約束は守るし遅刻もしない。
もっと手を抜いていいよと言われるくらい真面目にきちんと仕事をする。
まあそれでしんどくなって辞めることもあったので、結局きちんとできていないといえばそうとも言える。
が、この場合はズボラという言葉の意味とは違うだろう。
私はズボラを不精という意味をメインで使っていた。
不精というか、ものぐさ。
端的に言うと面倒くさがり屋。
夏休みの宿題は後半にまとめてやるタイプ。
ワークなどの提出物も毎日コツコツやらずに溜め込んで、提出日前日に慌てて手をつける。
部屋や机もぐしゃぐしゃに使い、ある日突然思い立って一気に片付ける。
毎日やればほんの少しの労力で済むことはわかっているけれど、どうしても今その瞬間の楽を求めてしまう。
そして後になって大変な思いをするのだ。
この歳になるとさすがに効率が悪すぎるし精神衛生的にも良くないことに気がついて、嫌なこと、面倒なことは先に終わらせる癖がついてきた。
掃除もこまめにするからホコリもたまらず汚れもこびりつかず、とても楽。
「ものぐさなんですよ〜」と言うと「嘘だぁ〜」と言われる。
目に見える行動は、もはやズボラはおろか、ものぐさでも面倒くさがり屋でもないのかもしれない。
しかし私の中には昔から変わらずものぐさな部分は目を背けられないほど確かに存在している。
私は机の引き出しやランドセルの奥にしょっちゅうぐしゃぐしゃのプリントが詰まっている子どもだった。
数ヶ月前の授業で使った算数のプリントとか、漢字の小テストとか。
何これ、いつの?って物ばかり。
たまに「探してたけどこんなところにあったのか!」というお宝も出てくる。
こまめにきちんと中をチェックして、整理整頓して片付ける場所を決めておけばそんなこともなかったのだろう。
ものぐさな私はそれができなかった。
そして今、同じことを自分の心でしている。
心の中にいろんな感情をためこんでいる。
たまっていることに気づかないときもある。
「あ、たまってる」と気付いたのに「後でいいや」と見て見ぬふりをするところも、子どもの頃と変わらない。
プリントが溜まりすぎるとたまに引き出しをあけた勢いでぐしゃぐしゃのプリントが飛び出してくることがある。
それと同じで突然「何これ、いつの?」という感情が飛び出してくることがある。
プリントだったら「ああこれね」と確認して保管するなり処分するなり簡単に対処できるが、感情となると途端にややこしくなる。
ためこんだ感情はこじれる。
関係ない人に向けて現れて、人間関係が拗れることもある。
そもそも直視したくないから見ないフリしてためこんだものだから、こじれて出てきたところでまた見ないフリをして押し戻す。
ますます拗れる負のループ。
せめて新しく出てきたものはきちんと整理しようとしても、古いものが溢れているからそもそも入らない。
スキマに突っ込むしかない。
なんとかするにはやっぱりどうしても、机の引き出しと同じで一度全部出すしかない。
これをすればかなり楽になることを私は知っている。
さらに人間として成長できることも知っている。
ただしなかなかにしんどい作業でもあることも知っていて、ため込んだ分だけしんどさは増すことも知っている。
楽になるとしんどいを天秤にかけると、ものぐさが発動して「まあまだいいか」となる。
ぐしゃぐしゃのプリントは克服できた。
大人になって、心と向き合うことができるようにもなった。
心の整理もできるようになるだろう。
今、この場で始めている。
いずれもっと楽に、自然にできるようになる。
もとつの頭と心の中
ブログを書きたい。でも続かない。
テーマを決めると途端に書けなくなる。
テーマを決めなくてもなんとなくポジティブな場にしたくなってキラキラしたことしか書きたくない見栄っ張りが顔を出す。
もともと自分の気持ちや考えを言葉にすることが苦手な子どもだった。
苦手だから積極的にやらないし、経験値がないまま大きくなって大人になっても当然苦手なままだった。
中途半端に聞きかじった心理学の知識を振りかざして母親のせいにしてみたりもしたけど、結局は自分の力不足だった。
ここ数年で一気に変わって、自分の気持ちや考えを伝えられるようになった。
誰彼構わずではなく、きちんと関係性を築いてからでないとなかなか伝えられないという条件付きだが。
それも自分で気が付いたわけではなく、心療内科の先生に言われて気付いた。
言われた時はピンとこなかったが、一年後くらいにようやく納得した。
それでも私にとっては大きな成長だ。
何せ子どもの頃は「おなかが痛い」ということさえ訴えられなかったのだから。
私はこれをしてほしい。
こうしてもらえたら嬉しい。
これをされるといやな気持になる。
こういうことはしないでほしい。
ずいぶん伝えられるようになった。
感情的ではなく、落ち着いて「私はこう思う」という伝え方ができるようになった。
ネガティブなことも、「あなたのせいで」と責めることなく「私はこう考える」と伝えられるようになった。
モラハラ夫には何も伝わらなかったし、私のすべてを否定された。
夫のことは否定するなと言われた。
ここまで言葉が伝わらない経験は初めてだった。
恐ろしかった。
一歩間違えば私が夫の立場になっていた。
夫は数年前の私だった。
だから私を引っ張り上げてくれた恩師になりたいと思った。
だけど私は恩師と違って経験も知識も浅かった。
あっという間にモラハラに飲み込まれて自分が壊れていった。
恩師から逃げ出した私と同じように、夫も私から逃げ出した。
ただし夫は自分から逃げ出す勇気はなかった。
私を悪者にして私の悪行に耐えたにもかかわらず捨てられた不憫な夫という構図に仕立て上げた。
恩師から逃げ出した私はどん底にいて、もう一生笑える日なんて来ないんじゃないかと本気で思った。
毎日死にたいと思い、それでも死ぬ度胸なんてなくて、何もできず、ただ食べて絶望して眠るだけの日々だった。
やがて私の中に怒りが湧いてきた。
私だって頑張ってた。一生懸命やっていた。
そこから少しずつ気力がわいてきて、いろんなことに気付き始めた。
そして私のすべてが変わった。
何があっても大丈夫と思えるようになった。
揺るぎのない絶大な自信を手に入れた。
心を夫にめちゃくちゃにされた時も、私はまだ大丈夫だと確信を持っていた。
本当に再起不能になる前にきちんと逃げ出せることも分かっていた。
正直もう少し早く見切りをつけていれば、とも思うが、きっとこれも必要な痛みなのだろう。
傷つけられた心はそう簡単に癒えない。
これほどまでにつらいのかと驚く。
集中力もなくなった。
ストレスへの耐性もかなり低くなった。
ふとした瞬間に思い出し、泣きわめきたくなることもある。
夫は被害者ぶって私を悪者にするだけで、本当の心の痛みと向き合うことはないだろう。
死ねばいいのにと心から思う。
そんなことを思う自分に驚愕する。
腹立たしく思う人はいても、そこまで強い憎しみを抱くことは今までなかった。
簡単にそういう言葉を口にする人に眉をひそめる側だった。
そこまで人を憎むような出来事に遭遇しなかった私は、とても幸せだったと今になって思う。
綺麗事だけで生きていける世界だった。
今はもう戻れない。
夫のことを心から死ねばいいと思っている。
一度死んで、さっさと生まれ変わればいい。
これまで自分がどれほど身勝手に生きてきたのか
どれほどの優しさを無下にしてきたのか
どれほどの愛を受けてきたのか、そしてそれに気づかなかったのか
死ぬほど恥ずかしいだろう。
恥ずかしすぎて本当に死ぬかもしれない。
ざまあみろ。
そして私の愛の深さに気付くがいい。
死ぬほど後悔すればいい。
私は二度と夫には会わない。
あの時もっと大切にしていれば、と悔やめばいい。
さっさと死んで。
自分の心と向き合って。
死なないから。
そのままで大丈夫だから。
四の五の言わずにさっさとやれば楽になるのに。
それをしてほしい私としたくない夫。
見ている世界が違う。
私から見える世界は、夫が自分と向き合えばお互いハッピーになれる世界だった。
夫が見ていた世界はかつて私が見ていた世界だった。おびえる自分を必死に隠さなければ攻撃されてしまう恐ろしい世界。そんなの幻なのに。
そこにいたいという夫を引っ張り出そうと必死だった。
本当のあなたはそこにいたくないでしょう、と何度も言った。
テコでも動かなかった。
ありのままの夫を受け入れるのに、少し時間がかかってしまった。
そこに居続ける人とは一緒にいたくない。
夫のことを受け入れて、自分の気持ちも大切にする道は離れることだった。
なんでやねんと責める気持ちはなかなか消えないし、傷つけられた記憶も消えない。
これでよかったと思っても、死ねばいいと憎む気持ちがはびこっている。
私の頭も心もぐちゃぐちゃだ。
だけどそのぶんまた一つ、他人の痛みを理解する材料が増えた。
憎しみは何も生まないなんて綺麗ごとを言うだけの小娘ではなくなった。
憎しみにも寄り添える大人に成長した。
いつまでつらい日々が続くのかわからないけど、夫と一緒に暮らしていた日々と比べたら天国のように楽しい毎日なのは確かだ。
今目の前に夫はいない。ただの亡霊。ただの記憶。
されたことは消えないし忘れることもできないけれど、そのために今目の前にいる人たちをないがしろにしたり、楽しい出来事をふいにしてしまうのはもったいなさすぎる。
思う存分憎み切って、さっさと自分の人生を楽しもう。
マボロシ~~~~~~!!!!!