本
本を読むのが好きだ。
幼稚園の頃は毎晩のように母が絵本の読み聞かせをしてくれたのを覚えている。
妹と一緒に母をはさんで布団にもぐりこむ。
それぞれお気に入りの本は違ったが、どんな本でも楽しめるので、読んでもらう本のことで喧嘩することはなかったと思う。
たま〜に父が読んでくれることもあったが、驚くほどの棒読み具合が面白くて本の内容より父の読み方にケラケラ笑っていた。
幼稚園でも読み聞かせや紙芝居の時間があり、お友達とおしゃべりすることもなく物語に没頭する子どもだった。
絵本よりも図鑑など、写真やイラストがメインの本のほうが好きだという子もいるが、私はむしろ文字のない本にはあまり興味をそそられなかった。
文字のないというよりも、物語のない本と言うべきか。
どうやら私は物語が好きらしいと気がついたのは、高校生になってからだった。
アニメや漫画、ストーリー性のあるゲームも好きだけど、1番その世界観に没頭できるのは、やっぱり本だった。
そもそも小学生の頃は漫画やゲームをほとんど禁止されており、アニメを見るか本を読むかのどちらかだった。
漫画やゲームがもっと欲しいとねだったこともあった気もするが、買い与えない母の判断は正しかった。けっきょくいつも最後は本に夢中になって、漫画もゲームもたまに楽しむだけになる。
物語の中でもファンタジー小説が1番好きだ。
知らない世界に行くとわくわくする。
本を読んでいると、その世界の音や匂いを感じることがある。
風の匂いや水の手触り、森の草木がさざめく音。食べたことのない果実の味や食感。
知らないはずなのに、かなりリアルに感じられる。
ただの想像、空想に過ぎないことはわかっている。
自分の経験から似たような体験を思い出し、そこから「こんな感じかな」と想像しているだけなのだろう。
しかし、本を読めば読むほど、実際には体験していないのにその想像、空想の幅が広がる。
いろんな本を読んでからもう一度その本を読み返すと、最初に読んだ時よりもさらにリアルにその世界を私の中に再現できる。
「そんなに文字だらけの本、何が楽しいの?」とよく同級生に聞かれた。
彼らにとっては文字はただの文字でしかなかったのだろう。
漫画ばかり読むんじゃない! と叱られた、なんて愚痴る彼らを傍目に、私はにんまりと本を読んでいた。
本ばかり読むんじゃない、などと叱られることは一度もなかった。
むしろ本を読むだけで大人たちから褒められた。
彼らが漫画を楽しむのと同じ感覚で本の中の壮大な冒険を楽しんでいるだけなのに、たまたま漫画じゃなくて本だっただけなのに。
どうして本を読むと褒められるのか、正直今でもあまり理解できない。
大人になってからも本を読むのが好きと言うと「すごいね」と言われる。
大人になってからは勉強のために本を読むこともだいぶ増えたが、それさえも必要に駆られてというわけではなく楽しいから読んでいる。
そしてメインはファンタジー小説、しかも児童書。
完全に娯楽として楽しんでいるだけなのにすごいと言われる意味がわからない。
とはいえ人と接することが増えるにつれて、子どもの頃から読書の習慣がある人とない人とでは少し違うなと感じることもあった。
子どもの頃は読まなかったけど大人になってから読むようになった人と、大人になっても読まないままの人、小説は読まないけどビジネス書なら読む人……。
なんとなくだけど、私の出会った人たちは本を読む人のほうが物事をしっかり考えられる人が多いように感じた。
果たして私自身にそれが当てはまるかは疑問だが、何十年も本を読み続けているのだからおそらく何らかの恩恵は受けているのだろう。
というか本を開けばいつでもどこでもファンタジーの世界に没入できる時点で、この上なく最高の恩恵を受けている。
さらにもうひとつ。
本は読むタイミングによって印象が変わる。
子どもの頃に読んだ本を大人になってから読み返すと、当時とは別の視点から物語を追うことになる。
どうやっても子どもの頃の視点のままでは読めなくなっていて、ノスタルジーを感じる。
登場人物に自分を重ねていたことを思い出したり、新たな発見があったり。
大人になってから子どもの本を読むのもいいけれど、やはり子どもの頃の感性でしか受け取れないものもある。
本には賞味期限があることを強く感じる。
その本を読むのに最適な時期が確かにある。
その時期に読むことで救われたり人生が変わる本が確かにある。
つらい時に励ましてくれた。
悲しい時に寄り添ってくれた。
優しさや勇気を分けてくれた。
何があっても大丈夫だとメッセージを贈り続けてくれた。
最適な時期にぴったりの本を読むことができたのは本当に幸せだと強く思う。