好きで満たす

 

日常生活を好きで満たすことはとても重要。

ホッとできるものでもいい。

好きと安心で満たされた世界が私の理想の生活。

 

朝は日の出の少し前に起きていたい。

まだ誰も目覚めていない澄んだ空気を思いっきり吸い込むのが好きだ。

太陽が少しずつ顔を出すと徐々に温かさを感じられるあの瞬間も好き。

朝ごはんは土鍋で炊いたホカホカのごはんと手作りみそのお味噌汁。いりこで出汁を取れたら最高。それから糀納豆とぬか漬けがあれば完璧。

時間のある朝は豪華に焼き魚や卵焼きをつけてもいい。

デザートに果物があったら最高の一日になる。

洗濯をして掃除をして、よく晴れた日には布団も干したい。

こういう普段の生活を、時間に追われず気のすむまで自分のペースで出来たら最高。

 

現実ではまだそこまでの夢は叶っていないから、時間を気にして仕事に行かなければならない。

ドアtoドアで2時間。一時間半以上電車に乗っている。

窓の外の風景を見るのが好きだ。

今朝もきれいな雲が見えた。雨上がりには虹が見えたこともある。

好きな本を読むのも楽しい。ファンタジー小説だとあっという間に本の世界に入っていける。

本を読みながらまどろみ、うたたねするのも気持ちがいい。

手軽にスマホで漫画を読むのも悪くない。

SNSをチェックするのも楽しい時間になる。

 

職場ではお気に入りのペンを使って、お気に入りのV6のタンブラーをデスクに置く。

もちろん中身はお気に入りの飲み物。

電話が鳴ったら誰よりも早く出る。競争みたいで楽しいし、ずっと接客業をしていたからお客様との会話が恋しくなる。

さらに受話器を取るときと置くときのカチャっという音も好きなのだ。

なんなら受話器を置く前にフックを指でそっと抑えてから受話器を置くしぐさもとても好き。

電話を取るメリットは、面倒なクレーマーに遭遇するかもしれないというデメリットをはるかに上回る。

どう考えても電話を取るほうが楽しい。

 

帰ってからは家族そろってごはんを食べる。

一人で食べるよりみんなで食べたほうがおいしく感じるのは本当だった。

お風呂に入ってむくんだ足や疲れた腕、首をもみほぐすのも好きな時間。

嫌なことがあったりとくに疲れている日は湯船にもぐり、自分の周りの気ごとすっきり洗うイメージで。

3回ほど頭まで潜れば不思議とすっきりサッパリする。

職場が近ければ仕事帰りにプールで泳ぐのも楽しいだろう。

もう何年も泳いでいない。きっと気持ちがいいだろうな。

夜眠る前はお気に入りの動画をYouTubeで見る。

KERというとても平和なチャンネルで、頭が良くて優しい3人の男性の雰囲気がとても好き。

その動画を流しながら眠りにつくのが日課になっている。

睡眠の質などを考えると寝る前はスマホは別の場所に置いておくべきなのだが、今の私には安心して眠れる状況がひつようであり、それがこのKERだった。

少し前まではノンスタイルの漫才をずっと見ていたが、結婚や男女に関するネタを見るのが少しつらいことがあって最近は専らKERだけになった。

さらに前はラーメンズの動画を子守歌代わりにしていた。こちらは非常に年季が入っており、高校時代でラーメンズと出会ってから眠れない時は度々お世話になっている。

ラーメンズのコントを見ると不思議と眠れることが多く、眠れなくてもあの独特な世界観のコントに夢中になって楽しめる。ラーメンズのコントは不調なときの処方箋なのだ。

 

休みの日にはピアノを心ゆくまで弾いて、たまにはオーケストラのコンサートも観に行きたい。

好きなアニメやアイドルのDVDも堪能したいし、のんびりお散歩をしたり家でゴロゴロ過ごしたい。

会いたい人にも会いに行って、一緒にごはんを食べて楽しく語らう時間も欲しい。

 

よく考えてみると、好きで満たそうとするととてもじゃないけど時間が足りない。

 

それなのに、好きではないもののことを考えている時間がこのところ多すぎる。

不快なことに思いを馳せ、一人でイライラしたり不安になる時間は必要だろうか。

受けた傷を回復させるために必要なことではあるのだろう。

嫌な記憶を何度も思い出し、慣れさせるというのはトラウマの治療として実際にあるらしいというようなことをどこかで読んだ。

自分と同じモラハラ被害者の言葉を読んで、心底共感したり憎んだりすることで心が楽になっていく感覚は確かにあった。

だけど今でもそれが必要なのかと問うてみると、完全に肯定できない自分がいる。

そういう行動を欲する自分がいる一方で、そんな自分を不快に感じる心が生まれてきた。

なんでわざわざこんな不快な体験談を読んで嫌な気持ちをぶり返させているんだろう、と思うことが多くなってきた。

 

突然すべてをやめることはできない。

現に不快に感じながらも読むことを辞められず、気が楽になったりスカッとする自分も確かにまだ存在するのだ。

だが、少しずつその頻度を減らし始めてもいいのかもしれない。

なんでこんなことしているんだろう

なんか嫌だな

なんか楽しくない

そう思ったらその行動を辞めて好きなことをやってみる。

そうやってだんだんと不快な時間も好きで満たしていけたらいいと思う。