がさつでずぼら
自分のことを説明するときにガサツでズボラとよく言う。
改めてその意味を調べてみると、適当ではないと思った。
ガサツには動作や態度に落ち着きがないという意味があるらしい。
焦ってテンパって落ち着きなさいと言われることはあるが、何事もなければ落ち着いているほうだと思う。小学生の頃にはお友達のお母さんに「もとつちゃんは動じないよね」と言われたこともある。
そして荒っぽくぞんざいという意味もあるらしい。
こちらは少々当てはまる。
というかこちらの意味をメインで使っていた。
が、改めて考えてみると微妙に違う気もする。
イライラしている時や心が荒んでいる時は荒っぽくぞんざい、乱暴になる。
反抗期真っ只中の中学校時代はまさにそれだった。
ただ、今はどうだろう。そして中学以前の私はどうだっただろう。
物の扱いが乱暴だったことは否定できない。
物を大切に扱う妹のランドセルと比べると、放り投げたり物を詰め込んだり背もたれとして使ったり友達と引っ張りあったりした私のランドセルはボロボロだった。
母は6年たっても新品のような妹のランドセルの使い方を褒めたが、私だって大事にしていなかったわけじゃない。
部品が取れてしまった時は落ち込んだし、大きな傷がついた時は悲しかった。
扱い方は雑だったけど、とても大切にしていて大好きなランドセルだった。
ガサツというよりはおざなりという言葉のほうがしっくりくる。
その場限りの間に合わせ、というのは今でもよくやる。
いい加減という言葉もぴったりだ。
ズボラについては、不精でだらしがない点はとても当てはまる。
子どもの頃から忘れ物が多く、だらしがないとしょっちゅう叱られていた。
しかしズボラには約束を守らず仕事もきちんとしない、というような意味も含まれているらしい。
こちらについては自信を持って違うと言える。
約束は守るし遅刻もしない。
もっと手を抜いていいよと言われるくらい真面目にきちんと仕事をする。
まあそれでしんどくなって辞めることもあったので、結局きちんとできていないといえばそうとも言える。
が、この場合はズボラという言葉の意味とは違うだろう。
私はズボラを不精という意味をメインで使っていた。
不精というか、ものぐさ。
端的に言うと面倒くさがり屋。
夏休みの宿題は後半にまとめてやるタイプ。
ワークなどの提出物も毎日コツコツやらずに溜め込んで、提出日前日に慌てて手をつける。
部屋や机もぐしゃぐしゃに使い、ある日突然思い立って一気に片付ける。
毎日やればほんの少しの労力で済むことはわかっているけれど、どうしても今その瞬間の楽を求めてしまう。
そして後になって大変な思いをするのだ。
この歳になるとさすがに効率が悪すぎるし精神衛生的にも良くないことに気がついて、嫌なこと、面倒なことは先に終わらせる癖がついてきた。
掃除もこまめにするからホコリもたまらず汚れもこびりつかず、とても楽。
「ものぐさなんですよ〜」と言うと「嘘だぁ〜」と言われる。
目に見える行動は、もはやズボラはおろか、ものぐさでも面倒くさがり屋でもないのかもしれない。
しかし私の中には昔から変わらずものぐさな部分は目を背けられないほど確かに存在している。
私は机の引き出しやランドセルの奥にしょっちゅうぐしゃぐしゃのプリントが詰まっている子どもだった。
数ヶ月前の授業で使った算数のプリントとか、漢字の小テストとか。
何これ、いつの?って物ばかり。
たまに「探してたけどこんなところにあったのか!」というお宝も出てくる。
こまめにきちんと中をチェックして、整理整頓して片付ける場所を決めておけばそんなこともなかったのだろう。
ものぐさな私はそれができなかった。
そして今、同じことを自分の心でしている。
心の中にいろんな感情をためこんでいる。
たまっていることに気づかないときもある。
「あ、たまってる」と気付いたのに「後でいいや」と見て見ぬふりをするところも、子どもの頃と変わらない。
プリントが溜まりすぎるとたまに引き出しをあけた勢いでぐしゃぐしゃのプリントが飛び出してくることがある。
それと同じで突然「何これ、いつの?」という感情が飛び出してくることがある。
プリントだったら「ああこれね」と確認して保管するなり処分するなり簡単に対処できるが、感情となると途端にややこしくなる。
ためこんだ感情はこじれる。
関係ない人に向けて現れて、人間関係が拗れることもある。
そもそも直視したくないから見ないフリしてためこんだものだから、こじれて出てきたところでまた見ないフリをして押し戻す。
ますます拗れる負のループ。
せめて新しく出てきたものはきちんと整理しようとしても、古いものが溢れているからそもそも入らない。
スキマに突っ込むしかない。
なんとかするにはやっぱりどうしても、机の引き出しと同じで一度全部出すしかない。
これをすればかなり楽になることを私は知っている。
さらに人間として成長できることも知っている。
ただしなかなかにしんどい作業でもあることも知っていて、ため込んだ分だけしんどさは増すことも知っている。
楽になるとしんどいを天秤にかけると、ものぐさが発動して「まあまだいいか」となる。
ぐしゃぐしゃのプリントは克服できた。
大人になって、心と向き合うことができるようにもなった。
心の整理もできるようになるだろう。
今、この場で始めている。
いずれもっと楽に、自然にできるようになる。