ヘアブラシ
猪毛のヘアブラシを買った。
結婚してから美容院も行けず、櫛をとおす気力もなく、ケアを怠った髪があまりにもボサボサすぎた。
半年ぶりに行った馴染みの美容院で、普段どれだけ髪がもつれていても気にしない美容師さんが、今回ばかりはさすがにやんわりと髪が傷んでいることを指摘してきた。
美容院に行って久しぶりにツヤのあるまとまった髪を見て、ようやく髪のケアを再開したする気力が湧いてきた。
ヘアオイルとヘアミストと…など工程を増やす余裕はまだない。
ひとまず持ってこられなかった櫛やブラシを調達し、毎日髪を梳かすことから始めよう。
しかし櫛は大切にしているお気に入りのつげ櫛が夫のいる家にある。
荷物を引き取りに行く日取りも決まり、あと少しだけ待てば手に入るはず。……壊されていなければ。
ブラシも置いてきてしまったのだが、こちらは同棲初日に何故か夫のものになっていた。
使いやすくて気に入っていたのだが、夫の髪が絡まったブラシを使うのは絶対に無理。
気持ちが悪すぎる。
せっかくだから以前のと違って天然毛100パーセントのブラシを買ってみようか。
そう思って薬局で買ったのが、猪毛100パーセントのヘアブラシ。
猪毛はチョモウと読むらしい。
初めて知った。
ちなみにスマホでは一発で変換できなかった。
猪毛はめちゃくちゃ太くて硬い。
頭皮に当てる角度を間違えると、たまに刺さって痛い。
今までヘアブラシは樹脂製やプラスチック、ナイロンなどしか使ったことがなかった。
毛だけであのトゲトゲしたピンがないブラシなんて、どうせ髪の埃や汚れを落とすためだけのものだろうとたかを括っていた。
猪毛の威力はすごかった。
絡まっていた髪はするんと解け、ボサボサでボリュームのあった髪がまとまった。
ツヤとは無縁だった髪にツヤが生まれた。
このまま毎日続けたら、数日後には天使の輪ができそうなくらいツヤツヤになっている。
これはとても楽しい。
こうなってくると豚毛も試したくなってくる。
調べてみると豚毛にもかためからやわらかめまで種類があるらしい。
片っ端から試して自分に1番合うブラシを使ってみたい。
そしてどうせなら職人さんが作った良い櫛を使いたい。
そして毎日使うものだから、こまめにお手入れして綺麗に使いたい。
お手入れ用のブラシやクリーナーはマストだ。
欲しいものが一気に膨れあがる。
実際に直近で買うのはおそらくお手入れ用のブラシとクリーナーのみになるだろう。
いつか自分に1番合うブラシと出会う日を夢見ながら、今ある猪毛ヘアブラシを大切に使っていきたい。
歩く
歩く時の推進力がやたらと高い時がある。
体が軽く感じるのではなく、脚力が異常についた感覚。
ふくらはぎのあたりに力がみなぎっていて、地面を蹴るとかなりのスピードで体が前に押し出される。
瞬く間に景色が過ぎ去って行き、風を切って歩くような感じがしてとても気持ちがいい。
ヒールを履いていようが関係なく、とても正しい歩き方ができていると感じる。
私が学んだフットケアのスクールでは、歩くだけで体の歪みが整うという理論を掲げていた。
理論上はそうかもしれないけど……と、所詮は机上の空論という気持ちが少なからずあったのだが、これだけ気持ちよく歩けるとまんざらでもない気がしてしまう。
スクールで学んだ「正しい歩き方」を意識してみると、ふくらはぎがしっかり伸びてお腹とお尻の筋肉をしっかり使って足首を柔らかく使って……と、ストレッチや筋トレをしている感覚になる。
しかもこれが苦痛じゃない。
体は使うべきところをしっかり使っているが運動量としてはただ歩いているだけなので、5分や10分くらいではそう疲れない。
景色はぐんぐん変わっていくので飽きないし、風は気持ちがいい。
季節や日によって空気の匂いも楽しめる。
外なのでいろんな音に溢れていて、気になる耳を澄ましてみるのも楽しい。
なるほど、これは体も心も整うわけだ。
すっかり納得してしまった。
欲を言えば裸足で土の上を歩けたら最高に気持ちがいいだろう。
毎日続けたら不健康でいるほうが逆に難しい。
とはいえ毎回その気持ちよさを味わえるわけでもない。
どんなに意識してもふくらはぎが伸びなかったり、足が前に出なかったり、どんなに大股で歩いてもなかなか前に進んでいかない感覚に陥ることもある。
疲れていると……というわけでもなさそうだ。
今日は体が軽くて調子が良いぞと思ったのにうまく歩けない、ということもある。
なんとなくだが、心の状態に左右される気がする。
穏やかで落ち着いていて、なおかつ心が満たされていて幸せを感じている時は最高に気持ちよく歩ける。
楽しいことや嬉しいことがあって浮かれている時も歩きやすい。体がどんどん前に進む。
イライラしている時はそのイライラ度に比例して前に進む力が増えていく気がする。
イライラすればするほどズンズン前に進んでいける。
イライラがエネルギーになっているのだろうか。
落ち込んでいる時は当然歩きにくい。
せめて歩き方だけでも元気を出そうと思っても、体がうまく動いてくれなくなる。
それから他のことに気を取られている時もうまく歩けないことが多い気がする。
「さっきあの人機嫌悪かったな。何か気に触ることしたかな」とか「明日はアレを絶対忘れちゃいけないから帰ったらすぐ準備しなきゃ」とか。
なんとなく気持ちがソワソワしている時は自分がお留守になっていて、体もきちんと動かなくなる。
心と体はここまで繋がっているのかと思うと、少し面白い。
どんな人
私はどんな人なのか、一言で表すのが難しいと思った。
好きなことや好きなものはいくつもある。
が、ずっと同じ熱量で好きかと言ったらそうでもない。
読書が好きだけど毎日読むわけではないし、何ヶ月も読まない期間だってある。
少しでも時間があれば本を開くわけでもない。
子どもの頃からセーラームーンが好きだけど、めちゃくちゃハマって「グッズ全部欲しい!」「セーラー戦士になりたい!」「月にかわっておしおきしたい!」となる時期と「ふーん、グッズ出たんだ」と落ち着く時期がある。
V6も好きだけど解散前のように個々の活動を追うこともなくなった。
DVDやCDを夫の元へ置いてきてしまったこともあり、しばらくV6と縁遠い生活をしている。
ならば得意なことは、と考えてみても、そもそも得意なことが極めて少ない。
学生時代の自己紹介で苦し紛れに絞り出した特技はピアノ。
今でもとても楽しんで弾いており、大金をはたいて立派な電子ピアノまで購入した。
が、うまくはないしつっかえずに弾ける曲だって多くない。
子どもの頃のピアノ教室ではクラスの落ちこぼれだったくせに練習嫌いで、グレード試験は毎回ギリギリな成績でパスしていた。
htmlを使って趣味でWebサイトを作ったことがあると言うと、だいたいの人がすごいと賞賛してくれる。
が、実際はきちんと本で勉強したことはなく、ネットで検索してコピペを繰り返すハリボテサイトだった。
きっとプロが見たらポカンとしてしまうくらいめちゃくちゃなコードだろうなと思う。
料理やお菓子作りも得意と言い張ったことがあるが、大雑把な性格が災いして繊細な味にならなかったり盛り付けが残念だったりする。
まあ食べられないほど不味いものは作ったことがない程度。
さらにモラ夫と暮らした数ヶ月で人のために料理を作るのがとても苦痛になったため、もう得意とは言えないかなと思う。
仕事にいたっては転職に次ぐ転職に次ぐ転職…と業種を変えて転職を繰り返しているので「この仕事をしている人」というのもない。
ここまで書いて、あまりにもないだらけでいささか呆れてきた。
ここに書いたことを全部ひっくり返して「ある」に変えても良いんじゃないだろうか。
毎日読むわけじゃないけど読書が好き。
落ち着く時期もあるけどセーラームーンが好き。
最近聞いてないけどV6が好き。
へたっぴだけどピアノが弾ける。
ちゃんと勉強したことないけどWebサイトが作れる。
誰かのためには作らないけどおいしく食べられる料理もお菓子作りもできる。
…で、けっきょく私は一言で言うとどんな人なのかはわからないままだけど、こういう言い回しのほうが気分が格段に良くなるなと思った。
中性脂肪
中性脂肪が高いとお医者さんから注意されるが、低すぎる場合は「病気ではなさそうだから大丈夫です」と言われる。
中性脂肪の基準値は50〜149。
分子栄養学のことをTwitterで発信している方によると、100前後が理想で70以下だと要注意らしい。
エネルギー不足、頑張りすぎという感じで、低血糖に似た症状が出るらしい。
「中性脂肪40だった頃はいつも疲れてた」とツイートしている人もいた。
じゃあ中性脂肪27で毎日家事をこなして仕事に行って精神的な攻撃を受け続けていた私はいつも死ぬほど疲れていて当然ですよね? と思ってしまう。
お医者さんから「大丈夫です」と言われてしまったら、こちらはもう何も言えない。
毎日疲れるんです、生きてるのが辛くなるほど体がしんどいんです、なんて訴えられない。
そんなこと言う暇も与えてもらえない。
有無を言わさぬ「大丈夫です」。
私自身は大丈夫ではありませんが、何をもって大丈夫と仰るのでしょうか。
そうに言えればよかったなあと思う一方、そう言えるだけの強さがあればここまで疲弊することはなかったかもしれないとも思う。
いずれにしても、基準値から外れている場合は「こんな症状が出ることがあります」「こう言う場合、基準値より低い(高い)数値が出ることがあります」と教えてくれると嬉しいなと思う。
ちなみに交感神経が過緊張を起こす時間が長いと中性脂肪が低くなりやすいそうだ。
常にストレスに晒される生活になった途端に異常に低くなったので、とても納得した。
ちなみに低血糖対策の食事を心がけると中性脂肪も元に戻る可能性があるらしい。
なぜかわからないけど
なぜかわからないけどものすごく幸せいっぱいな気持ちになることがある。
いいことがあったとか、楽しい予定があるとか、そんなことは一切ない普通の日なのに突然幸せで楽しい気分になる。
知らないうちにヤバい薬でも服薬したかな? と思うくらい幸せになるので、いったいどうしてこんなに幸せなんだろう、と考える。
だけどやっぱり心当たりは見つからなくて、とりあえず幸せだしまあいいか、と考えるのはやめて幸せな気分に身を委ねる。
反対に何もないのにどうしようもなく気分がどん底まで落ち込むこともある。
嫌なことがあったわけでもないし思い出したわけでもない。
こういう時もやっぱり心当たりは見つからなくて、しかしまあいいか、とはならずにひたすらこんな気分になった理由を考え続ける。
気分が落ち込む理由を考えるわけだから当然楽しいことであるはずもなく、あんなことやこんなことを記憶から引っ張り出してはさらに嫌な気分になって……という負のループにはまりこむ。
先日もその負のループにはまっていたのだが、ふと幸せな気持ちが突然やってくる時のことを思い出した。
そういえば幸せになるときも、突然、何の理由もなくやって来るな。
もしかしてこの異様な落ち込み具合も、それと同じじゃないのかな。
人生はずっと良いことが起こるわけではなく、必ず悪いこととセットになっているらしい。
宇宙の法則にもある通り、陰と陽が必ずある。
わたしの好きなかんころさんは「破壊の後には創造がある」と表現している。
ずっと幸せな気持ちでいられればいいと思うけど、それは不可能だし自然の摂理に反する。というかめちゃくちゃ不自然だ。
嫌な気持ちになりたくないのなら、幸せな気持ちも諦めなくてはならない。
なるべく気持ちをフラットにすることで、幸せな時と落ち込んだ時との落差を減らすことはできる。
その状態を目指し淡々と生きることを推奨する人もいるし、そこを目指していたこともあるが、どうやらわたしはまだジェットコースターのような感情の落差を楽しみたいらしい。
だったらあのどん底まで落ち込む気分も受け入れなくちゃ。
そう思ったら、どん底の理由を探す必要がなくなった。
上がった分下がってるだけであり、下がった分次はまた上がるだけ。
潜在意識の記憶のせいでなんちゃらかんちゃらとかもあるのかもしれないが、自分ではわからないのだからただの生理反応と同じだ。
アイスを食べすぎてお腹をこわした、みたいなものだ。
という考えに至ったことを、数週間ぶりに思い出した。
じつは今日、朝からまた夫のことを思い出して最悪な気分になっていた。
考えなければいいのに、どうしてこんなに考えてしまうんだろうと、悶々としつつ負のループへとまっしぐら。
普段は平気なふりをしているし、大局的に見れば大丈夫ではあるのだけど、やっぱりどうしてもしんどくて、今この瞬間は明らかに大丈夫ではないということに気がついた。
助けてほしいと紙に書いてお願いしてみると、2時間後には例のめちゃくちゃ幸せな気持ちがやってきた。
いったいこのジェットコースターのような感情は何なんだ、と思いながら歩いていたら、ふとこのことを思い出した。
正直、夫に対する気持ちが癒されて昇華され、夫のことやモラハラ、DVに関することなどに過剰に反応しなくなったり冷静に受け止められたり、何ならいつでも夫に心から感謝できるくらいの奇跡が起きてほしいと期待していたが、そんなことは起きないし、いつかそういう日が来るとしても何年も、もしかしたら何十年も後だろう。
嫌な気持ち、落ち込む気分も怖がらず、嫌がらず、逃げず、きちんと見て受け入れることが必要なんだと思う。
それが助けてほしいというお願いの答えなのかな、と思った。
別のアンサーがまだあるのなら、わたしが気付くようにわかりやすく教えてね。
よろしくお願いします♡
コミュ障
私は人見知りだ。
人と話すことに苦手意識がある。
自分のことをコミュ障と思っていた時期もある。
初対面の人と話すのは緊張するし、職場の人とランチの時に話す話題を見つけるのがすごく苦手。
せっかく話題を振られても「はい」とか「そうですね」という一言の返事で終わることもしばしば。
なんとなく気まずい雰囲気になって、明らかに気まずい沈黙が訪れる。
話題が豊富で受け答えが上手な人がすごく羨ましかった。
コミュ障なので仕事はなるべく人と関わらない職業を選ぶと思いきや、ほとんど接客業しかしたことがない。
唯一人との接触が少ない仕事をしたのは、郵便局で年賀状を仕分けるアルバイトで、友達もいなかったので勤務中一言も喋らない日が多かった。
これは死ぬほどつまらなかった。
どうやら私は人と話すことが好きらしい。
25歳を過ぎてようやく気付いたのは、初対面の人と話すのは誰だって緊張するということ。
そして話題が見つからなければ無理して話す必要はないということ。
今の私は「人見知りなんです」と言うと驚かれるほど初対面の人とすんなり話せるし、職場では毎日雑談してケラケラと大笑いしている。
事務職の今はお客様とのやりとりがないのが寂しくて、苦手だった電話を誰よりも早く取るようになった。
今ではクレームを受けても落ち着いて対応できる。
いったいどうしてここまで変われたのか、自分でも不思議に思う。
もちろん今でも話すのが得意なわけではないし、圧倒的に話すより聞き役に徹することが多い。
それでもかつての私が憧れたような、誰とでも気軽ににこやかに話せる人になっている。
先日、同僚と靴下がすぐにズレてしまう悩みで盛り上がった。
「私かかとが小さいんですよね〜」と言うと、同僚は「かかとが小さいってどういうこと!?」と驚いていた。
以前フットケアの勉強をしていた私にとっては当たり前でも、他の人にとっては足そのものでなくかかとが小さいということは聞き慣れない情報だったのだろう。
私は相手が「さも当然」という感じで話しているとき、つい知ったかぶりして「へえ〜そうなんだ」と流してしまうことが多い。
同僚のように「なにそれ?」と素直に聞けるようになれたら素敵だなと思う。
そしてそんなふうに素敵だなと素直に認めて、そうなりたいと素直に憧れることが私が変われた理由のひとつじゃないかと思う。
「どうせ私は…」と捻くれているより「素敵だな」「なれたらいいな」と思うほうが気持ちがいい。
普段のコミュニケーションでも「どうせうまく喋れないし」と思うより素直に「喋るの苦手だけどあなたと喋りたいんです!」と思いながら接するほうが会話がすんなり進む気がする。
うまく話せない自分のことを好きになる人なんていないと思っていたあの頃の私に伝えたい。
自分が思っているよりずっとたくさんの愛に囲まれて育ってきたし、これから先もたくさんの人に好かれて愛されて、とても幸せな毎日を過ごせるよ。
あの頃の私は絶対嘘だと思うだろうな。
本当だから大丈夫。
食べたいものを食べる
昨日、どうしてもスタバのフラペチーノが飲みたくなった。
これまで両手で足りるくらいしかスタバに行ったことはない。
行かない理由はごく単純に、好きじゃないから。
友達に付き合って行くことがほとんどで、自ら行く時は待ち合わせなどで時間が余っており、なおかつV6の岡田くんオススメのカスタムを楽しみたい気分の時に限る。
フラペチーノなんて3回くらいしか飲んだことがない。
そんな私がスタバのフラペチーノが飲みたくなるなんて、ありえない。
そもそも飲み物一杯に対して値段が高すぎると感じるので、「フラペチーノ飲みたい。買お♪」とは絶対ならない。
高いからダメ!
贅沢しちゃダメ!
お砂糖だらけで不健康だし体が冷えるからダメ!
というダメ出しのオンパレードで、結局スタバには寄らずに家に帰っていた。
これまでの私は。
夫と離れてから、いつもと違うことを毎日やってみようと思った。
もうモラハラを受けるのはこりごりで、私自身が変わる必要があるし変わりたいと思ったからだ。
いつもと違うことを毎日やっているのかと言われればなんとも言えないし、それどころかそう決めたことさえたった今思い出したところだ。
しかし潜在意識にはしっかりと刻まれていたのだろう。
私はわざわざ遠回りをしてスタバに行き、無事フラペチーノを堪能した。
飲んでみて、やっぱりあまり好きじゃないし、チョイスをミスったせいで欲しい甘さは得られなかった。
本当はもっとゴリゴリに甘いフラペチーノが飲みたかった。
それでもあの存在感のあるカップを手に持ち、ストローで甘く冷たい飲み物をすするという満足感は得られた。
そして今日、ランチにどうしてもモスバーガーが食べたかった。
モスバーガーは嫌いじゃない。
ハンバーガーチェーンの中では1番好きだ。
それでもやっぱりなかなか行かない。
高いし油や添加物、小麦など体の影響を考えてしまう。
とはいえこのところ油も砂糖も添加物も小麦も乳製品も、ほとんど気にせず市販のお菓子やパンを好き放題食べている。
お金も実家暮らしで生活費を全て甘えさせてもらっているから、弁護士費用や引越し費用でかかる分を差し引いても、たった1回ランチに1000円使うくらいは余裕である。
ランチにモスバーガーを食べられない理由、食べてはいけない理由は何もない。
調子に乗った私は、ハンバーガーを2つ頼んだ。
飲み物は着色料バリバリのメロンソーダ。
大好きなオニポテももちろん頼んだ。
出来立ての温かいハンバーガーに、人目を気にせずかぶりつく。
口いっぱいに頬張って、アツアツのオニポテをつまんで、ソースをぬぐいつつメロンソーダを流し込む。
そうそう、これをやりたかったんだよ。
心もお腹も存分に満たされた。
ちなみに味はと言うと、大好きだったオニポテもハンバーガーも、そこまで美味しく感じなかった。
美味しい部類には入るけど、中の上くらい。
昨日今日と慣れないものを一気に詰め込んだせいか(まあ十中八九今日のランチを食べ過ぎたせいだと思うが)、なんとおなかを壊してしまった。
お腹が痛くて電車を降りるなんて、これまで一度も経験したことがない。
今日はゆっくり湯船に浸かってお腹を撫でてあげようと思う。