なぜかわからないけど
なぜかわからないけどものすごく幸せいっぱいな気持ちになることがある。
いいことがあったとか、楽しい予定があるとか、そんなことは一切ない普通の日なのに突然幸せで楽しい気分になる。
知らないうちにヤバい薬でも服薬したかな? と思うくらい幸せになるので、いったいどうしてこんなに幸せなんだろう、と考える。
だけどやっぱり心当たりは見つからなくて、とりあえず幸せだしまあいいか、と考えるのはやめて幸せな気分に身を委ねる。
反対に何もないのにどうしようもなく気分がどん底まで落ち込むこともある。
嫌なことがあったわけでもないし思い出したわけでもない。
こういう時もやっぱり心当たりは見つからなくて、しかしまあいいか、とはならずにひたすらこんな気分になった理由を考え続ける。
気分が落ち込む理由を考えるわけだから当然楽しいことであるはずもなく、あんなことやこんなことを記憶から引っ張り出してはさらに嫌な気分になって……という負のループにはまりこむ。
先日もその負のループにはまっていたのだが、ふと幸せな気持ちが突然やってくる時のことを思い出した。
そういえば幸せになるときも、突然、何の理由もなくやって来るな。
もしかしてこの異様な落ち込み具合も、それと同じじゃないのかな。
人生はずっと良いことが起こるわけではなく、必ず悪いこととセットになっているらしい。
宇宙の法則にもある通り、陰と陽が必ずある。
わたしの好きなかんころさんは「破壊の後には創造がある」と表現している。
ずっと幸せな気持ちでいられればいいと思うけど、それは不可能だし自然の摂理に反する。というかめちゃくちゃ不自然だ。
嫌な気持ちになりたくないのなら、幸せな気持ちも諦めなくてはならない。
なるべく気持ちをフラットにすることで、幸せな時と落ち込んだ時との落差を減らすことはできる。
その状態を目指し淡々と生きることを推奨する人もいるし、そこを目指していたこともあるが、どうやらわたしはまだジェットコースターのような感情の落差を楽しみたいらしい。
だったらあのどん底まで落ち込む気分も受け入れなくちゃ。
そう思ったら、どん底の理由を探す必要がなくなった。
上がった分下がってるだけであり、下がった分次はまた上がるだけ。
潜在意識の記憶のせいでなんちゃらかんちゃらとかもあるのかもしれないが、自分ではわからないのだからただの生理反応と同じだ。
アイスを食べすぎてお腹をこわした、みたいなものだ。
という考えに至ったことを、数週間ぶりに思い出した。
じつは今日、朝からまた夫のことを思い出して最悪な気分になっていた。
考えなければいいのに、どうしてこんなに考えてしまうんだろうと、悶々としつつ負のループへとまっしぐら。
普段は平気なふりをしているし、大局的に見れば大丈夫ではあるのだけど、やっぱりどうしてもしんどくて、今この瞬間は明らかに大丈夫ではないということに気がついた。
助けてほしいと紙に書いてお願いしてみると、2時間後には例のめちゃくちゃ幸せな気持ちがやってきた。
いったいこのジェットコースターのような感情は何なんだ、と思いながら歩いていたら、ふとこのことを思い出した。
正直、夫に対する気持ちが癒されて昇華され、夫のことやモラハラ、DVに関することなどに過剰に反応しなくなったり冷静に受け止められたり、何ならいつでも夫に心から感謝できるくらいの奇跡が起きてほしいと期待していたが、そんなことは起きないし、いつかそういう日が来るとしても何年も、もしかしたら何十年も後だろう。
嫌な気持ち、落ち込む気分も怖がらず、嫌がらず、逃げず、きちんと見て受け入れることが必要なんだと思う。
それが助けてほしいというお願いの答えなのかな、と思った。
別のアンサーがまだあるのなら、わたしが気付くようにわかりやすく教えてね。
よろしくお願いします♡