好き嫌いと潜在意識
苦手な人はいても嫌いな人というのはそうそういない。
私にとっては合わない人だったり嫌だなぁと思う人でも、別の誰かにとってはとても大切な人でもある。
そもそもどんなに腹立たしい人でも関わるうちにひとつやふたつ、必ずいいところが見つかる。
すごいなと尊敬できることだったり、かわいいなと微笑ましく思うことだったり、素敵だなと憧れることだったり。
そういう一面を知ればなおさら嫌いになんてならない。
嫌いから好きになることはあっても、好きから嫌いになることはないと思っていた。
だから今、死を願うほどに夫を嫌っている自分に戸惑っている。
毎日のようにふとしたきっかけで夫のことを思い出し、死ねばいいのにとイライラする。
怒りがおさまらなくなる。
他人をここまで嫌うことができたのかと驚くほど、これまでの人生では無縁の感情だ。
そしていつまでもこんな思いに囚われている自分が嫌だ。
やめればいいのにやめられない。
今朝も何かで夫のことを思い出し、死ねばいいのにとイライラしながら雨の中を歩いていた。
水たまりを避けても靴が濡れる。
不快な状況も相まって余計にイライラしていたら、向こうからやってきた車のタイヤが水たまりを踏んだ。
水しぶきが控えめに、しかしバッチリ私を狙って靴にかかった。
マジか、と思わず走り去った車を振り返る。
今までどんなに派手に水を跳ね散らかしている車からも水をかけられたことはなかったのに。
しかも今の車は水をはねさせないようにスピードを落として走っていた。
にもかかわらず、だ。
なんてついていないんだろう、と肩を落としかけたとき、はたと気が付いた。
もしかしてこれ、やめときなさいって言われてる?
車とすれ違ったちょうどその時、死ねばいいのにと思っていた。
頭に血がのぼっていた。
そんな時に冷たい水を控えめにかけられた。
ちょっと落ち着いて、やめときなよ
と言われたように感じた。
私の周りの世界は私自身でもある。
死ねばいいのにと思う一方、そう思う自分をやめたいと思う私もいる。
自分の頭の中だけでやめることができないから、そちらの私が車と雨を使って「ほら、やめときな」と伝えてきた。
そう考えるとストンと納得できた。
車にも感謝の念が湧いてきた。
もしここで気づかないままイライラし続けていたら、今度は「頭を冷やせ!」と頭までびしょ濡れになっていた可能性もあったかも……なんて考えると少し笑えてくる。
今回はわかりやすいサインだったが、私の周りには私がなかなか気付かないサインがもっとたくさん溢れているのだろう。
そういうひとつひとつを全部読み取れるようになったらもう少し楽に生きられるようになるだろうか、と思うこともある。
そのためにはもっといろんなことを注意深く見て、きちんと感じとれる心を準備しておく必要がある。
幸いなことにいろんな人がいろんな方法を編み出して本やネットでシェアしてくれているので、私はそれを探して気に入ったものをやればいいだけ。
今はちょうど7曜日メソッドという本を読んでいる。
今日は土曜日なので、エスプレッソとかりんとうを買って休憩時間に楽しもうと思う。
ちなみに昨日は金曜日だったので、マシュマロを食べた。
かなり久しぶりに食べたのだが、とても美味しく感じてすごく幸せな気持ちになれた。
砂糖がダメとか添加物が気になるとかあるけれど、今はとりあえずそういうことは置いといて、手軽に幸せを感じる時間をどんどん増やしたい。