コミュ障

 

私は人見知りだ。

人と話すことに苦手意識がある。

自分のことをコミュ障と思っていた時期もある。

初対面の人と話すのは緊張するし、職場の人とランチの時に話す話題を見つけるのがすごく苦手。

せっかく話題を振られても「はい」とか「そうですね」という一言の返事で終わることもしばしば。

なんとなく気まずい雰囲気になって、明らかに気まずい沈黙が訪れる。

話題が豊富で受け答えが上手な人がすごく羨ましかった。

 

コミュ障なので仕事はなるべく人と関わらない職業を選ぶと思いきや、ほとんど接客業しかしたことがない。

唯一人との接触が少ない仕事をしたのは、郵便局で年賀状を仕分けるアルバイトで、友達もいなかったので勤務中一言も喋らない日が多かった。

これは死ぬほどつまらなかった。

どうやら私は人と話すことが好きらしい。

 

 

25歳を過ぎてようやく気付いたのは、初対面の人と話すのは誰だって緊張するということ。

そして話題が見つからなければ無理して話す必要はないということ。

 

今の私は「人見知りなんです」と言うと驚かれるほど初対面の人とすんなり話せるし、職場では毎日雑談してケラケラと大笑いしている。

事務職の今はお客様とのやりとりがないのが寂しくて、苦手だった電話を誰よりも早く取るようになった。

今ではクレームを受けても落ち着いて対応できる。

 

いったいどうしてここまで変われたのか、自分でも不思議に思う。

もちろん今でも話すのが得意なわけではないし、圧倒的に話すより聞き役に徹することが多い。

それでもかつての私が憧れたような、誰とでも気軽ににこやかに話せる人になっている。

 

先日、同僚と靴下がすぐにズレてしまう悩みで盛り上がった。

「私かかとが小さいんですよね〜」と言うと、同僚は「かかとが小さいってどういうこと!?」と驚いていた。

以前フットケアの勉強をしていた私にとっては当たり前でも、他の人にとっては足そのものでなくかかとが小さいということは聞き慣れない情報だったのだろう。

私は相手が「さも当然」という感じで話しているとき、つい知ったかぶりして「へえ〜そうなんだ」と流してしまうことが多い。

同僚のように「なにそれ?」と素直に聞けるようになれたら素敵だなと思う。

 

そしてそんなふうに素敵だなと素直に認めて、そうなりたいと素直に憧れることが私が変われた理由のひとつじゃないかと思う。

「どうせ私は…」と捻くれているより「素敵だな」「なれたらいいな」と思うほうが気持ちがいい。

普段のコミュニケーションでも「どうせうまく喋れないし」と思うより素直に「喋るの苦手だけどあなたと喋りたいんです!」と思いながら接するほうが会話がすんなり進む気がする。

 

 

うまく話せない自分のことを好きになる人なんていないと思っていたあの頃の私に伝えたい。

 

自分が思っているよりずっとたくさんの愛に囲まれて育ってきたし、これから先もたくさんの人に好かれて愛されて、とても幸せな毎日を過ごせるよ。

 

あの頃の私は絶対嘘だと思うだろうな。

本当だから大丈夫。